元ドジャース石井一久氏の経歴は?奥様は元アナウンサーのあの人!

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元ドジャース石井一久氏の経歴は?奥様は元アナウンサーのあの人!

ロサンゼルスドジャースとサンディエゴパドレスの試合で、2024年メジャーリーグ公式戦が韓国で開幕しました。

テレビやラジオの中継、各局のニュースバラエティ番組には、元プロ野球選手や元メジャーリーガーが多く出演していますが、昨年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めていた石井一久氏も、ニッポン放送や、テレビ朝日系のニュースバラエティ番組で解説をしています。

この記事では、石井一久氏の経歴や、元アナウンサーの奥様について解説します。

元ドジャース石井一久氏の経歴は?

石井一久氏は、東京学館浦安高等学校出身で、1992年にヤクルトスワローズにドラフト1位で入団しました。その後、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・メッツでプレーし、日本に戻ってからは再びヤクルトスワローズと埼玉西武ライオンズで活躍しました。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの球団取締役シニアディレクターを務めています。

ドジャース在籍時の背番号は、現在、大谷翔平選手が付けている17でした。ロサンゼルスドジャースには、日本人選手も多く在籍していましたが、背番号17を付けていた選手は、石井一久氏と大谷翔平選手の2人です。

生年月日 1973年9月9日
出身地 千葉県千葉市若葉区
身長/体重 185 cm / 100 kg
投球/打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
選手歴 東京学館浦安高等学校
ヤクルトスワローズ (1992 - 2001)
ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004)
ニューヨーク・メッツ (2005)
東京ヤクルトスワローズ (2006 - 2007)
埼玉西武ライオンズ (2008 - 2013)
監督・コーチ歴 東北楽天ゴールデンイーグルス (2021 - 2023)

 ヤクルトスワローズ時代

1992年にヤクルトスワローズにドラフト1位で入団した石井一久氏。

幼少期から親しみを持っていたヤクルトスワローズからの単独1位指名で入団しました。

当時のヤクルトスワローズは、野村克也監督の下でのID野球が黄金期を迎えており、古田敦也氏を中心に、スター選手がそろって活躍していました。現在、ヤクルトスワローズの監督を務める高津臣吾氏も、当時のチームメイトですね。

石井一久氏も、1992年から2001年の間に78勝を挙げ、左投手のエースとして、チームに貢献しました。

また、シーズンオフのバラエティ番組でも、そのキャラクターが人気でした。

1997年にはノーヒットノーランを達成していますが、その試合の8回終了時点で「疲れたんで」と降板を申し出ており、これに対し、捕手の古田が「今日だけは投げろ」と続投を求め、その結果記録達成につながったという逸話もあります。

メジャーリーガー時代

2002年1月7日には、移籍希望球団として挙げていたロサンゼルスドジャースが入札したことを受け、ドジャースと契約を結びました。

ドジャース在籍中の3シーズンと、ニューヨークメッツ在籍の1シーズンで39勝を挙げています。

左ひざの故障もあり、メッツでは3勝にとどまりましたが、メジャーリーグでも素晴らしい活躍をしたと言えるでしょう。

日本球界復帰

2006年1月20日に古田敦也が選手兼任監督に就任したヤクルトスワローズに2年契約で復帰しました。

復帰したシーズンは11勝を挙げましたが、2年目は9勝10敗、防御率4.16という成績でした。

2007年11月12日に前年途中に取得していたFA権を行使した際には、ヤクルトから慰留を受けましたが、新たな環境を求めて移籍を決意しました。理由として「新しい友達を作りたかったから」と語った逸話があります。

2007年11月22日に埼玉西武ライオンズへの移籍が発表されましたが、ヤクルト時代の背番号16は涌井秀章選手が付けていたため、本人が希望した、16を反転した61を付けることになりました。

埼玉西武ライオンズでは、6シーズンで45勝を挙げました。

2013年10月8日の引退セレモニーでは長男のストライク投球を受け、また、声援にこたえるためのグラウンド1周を電動立ち乗り2輪車セグウェイで行うなどのユーモラスな演出もありました。

引退後

引退後は、現役時代に芸能活動のマネジメントを委託していた吉本興業に、2014年4月に契約社員として入社し、一般の社員としての勤務のほか、並行してフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家としても活動しました。

2021年シーズンからは、楽天ゴールデンイーグルスの取締役GM兼監督、2023年から監督に専任となりましたが、2023年のシーズンオフに退任し、2024年からは球団取締役シニアディレクターに就任しています。

日本プロ野球の選手として、メジャーリーガーとして、そして監督としての経験を生かした説得力のある解説に、ユーモアも加え、今後も解説者としても、視聴者を楽しませてくれることでしょう。

元ドジャース石井一久氏の奥様は元アナウンサー?

元ドジャース石井一久氏の奥様は元フジテレビアナウンサーの木佐彩子さんです。

ヤクルトスワローズに所属していた2000年3月に結婚しましたが、「家に帰って晩ご飯が作れるように」との理由で、「プロ野球ニュース」など夜勤シフトが多かった担当番組を、夕方の報道番組「FNNスーパーニュース」に移したという逸話があります。

小学2年から中学2年までの7年間、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで過ごした経験があり、石井一久氏がロサンゼルスドジャースに移籍した際の入団会見では「僕の妻はカリフォルニア人」とジョークを交え、会場の笑いを誘いました。

大谷翔平選手のロサンゼルスドジャース移籍と結婚を受けて、メジャーリーグのチームの婦人会についても、経験談を語ってくれていますね。

まとめ

石井一久氏の経歴や、元アナウンサーの奥様について解説しました。

ロサンゼルスドジャースでは、現在、大谷翔平選手が付けている、背番号17を背負ってプレーしていた石井一久氏。

その経験と、ユーモアあふれる人柄から、今後、テレビ番組への出演も多くなることでしょう。

ロサンゼルスドジャース在籍時の夫人会のお話も、元アナウンサーである奥様の木佐彩子さんの経験も踏まえて、解説してくれるのではないかと思います。

注目のメジャーリーグ2024年シーズンをより楽しむために、石井一久氏の解説にも注目しましょう!

 

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